大判例

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福岡高等裁判所 平成元年(ネ)864号 判決 1992年2月28日

控訴人

郡島恒昭

有光顕澄

今井克典

今泉信生

入江俊一

梅永久夫

大庭松男

垣田章

木村真昭

佐藤芳信

須藤道隆

杣山真乗

田中郁朗

田中啓了

谷川義昭

中尾徹昭

林田春雄

福沢弘文

藤岡崇信

藤崎秀勝

円日成道

山本敏雄

久保山教善

鳥取威夫

石松専称

井上隆照

大分哲照

鬼倉興龍

千手藤次

田中百合子

中島法昭

三浦瑤子

森口広祥

有川宏

岸本和世

菅原一夫

青柳行信

鈴木忠一

江藤俊一

芳井伸明

渡部多賀子

石崎昭哲

田籠幸男

右控訴人ら訴訟代理人弁護士

津留雅昭

大神周一

高森浩

牟田哲朗

大谷辰雄

川副正敏

有馬毅

美奈川成章

被控訴人

右代表者法務大臣

田原隆

右指定代理人

浅野秀樹

外五名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

一  控訴人らは、「1原判決を取消す。2被控訴人は控訴人らに対し、それぞれ金一〇万円を支払え。3訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決、ならびに仮執行の宣言を求め、被控訴人は、主文と同旨の判決、ならびに担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。

二  当事者双方の主張の関係は、次のとおり付加するほか、原判決の事実摘示のとおりであり、証拠関係は、原審及び当審記録中の書証目録、当審記録中の証人等目録記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

(控訴人らの主張)

1  本件公式参拝の意義

(1) 本件公式参拝は宗教行為である。靖国神社は、戦没者を祭神として祀る神社であり、「国事に殉ぜられた人々を奉斎し、永くその祭祀を斎行して、その『みたま』を奉慰し、その御名を万代に顕彰する」ことを通じて「靖国の理想」すなわち「祭神の神徳を弘め、その理想を祭神の遺族崇敬者及び一般人に宣揚普及し」、「安国の実現に寄与する」ことを宗旨とする純然たる宗教法人である。

このような靖国神社で行われる戦没者の追悼は、祭神に対する慰霊であり、宗教行為そのものである。本件公式参拝では、神社神道の参拝方式である「二拝二拍手一拝」「玉串奉奠」の形はとられていないが、本殿に向かい祭神に対する感謝、慰霊の念を厳粛且つ真撃な態度で示すという、祭祀の根本を逸脱していないものであって、その宗教行為性を減殺する理由はない。

(2) 本件公式参拝は国家の行為である。本件公式参拝は、中曽根康弘が内閣総理大臣としての資格で政府を代表して行った公的行為であり、その際公費から支出された供花料三万円も、それが直接の現金支出でないとしても、靖国神社に対する三万円相当の供花という財産の贈与であることは免れず、いずれにせよ、憲法八九条等の禁ずる公の財産の支出であることは疑いがない。

(3) 本件公式参拝は憲法秩序の根本に対する挑戦である。本件公式参拝は、時の内閣総理大臣中曽根康弘による単なる勇み足ではなく、憲法の平和主義と個人尊重の理念、秩序を再び覆そうとする戦後保守政治勢力の一貫した強固な志向に根ざすものであり、その方向性を確固とするうえでの布石としての意味を有する。

靖国神社は、国家神道の成立とともに、明治になって創建されたもので、天皇の大御心に基づき、国すなわち天皇のために戦死した者の勲功顕彰のための宗教施設であり、国家神道体系の頂点に位置するものであった。今次大戦後の靖国神社も、戦死者を神として崇め、戦死を美化し、賛美している点、国家神道の系譜を承継している点、戦死者を人霊でなく神霊として祀っている点等、戦前と全く変わっておらず、過去の侵略戦争等を聖戦として肯定する根本理念に立脚している。

戦没者の追悼についても、右のような靖国神社の本質を捨象して、戦死者が靖国神社に祀られるという国民の意識があるとか、靖国神社参拝がわが国の習俗、文化である等の意見は、皮相的な見解ないし意図的なまやかしであり、戦後、保守勢力が一貫して、靖国神社の公式参拝ひいてその国家護持に拘泥するのも、まさしく右のような靖国神社の本質に着目し、その公的認知を実現しようとするが故である。

しかし、天皇の名による戦争肯定、戦死者賛美の思想は、憲法によって真っ向から否定されているところであり、一宗教法人としての靖国神社、及びそれを崇敬する個人がそのような靖国信仰を是とし、そのための活動を行うことは信教の自由として許容されるべきであるが、こと国家及びその機関が靖国神社とのかかわりあいを持つのは、そのこと自体が右靖国神社の思想を是認し、憲法の理念を否定することにほかならず、自らに課せられた憲法遵守義務に反するものである。

本件公式参拝は、絶対天皇制、軍国主義国家体制を支えるイデオロギーとなった国家神道の頂点にある靖国神社への参拝が、戦没者のための国民的儀礼である旨標榜してなされたものである。そして、本件公式参拝は、国民に追随を慫慂する効果を持ち、かつ、国家として靖国信仰を認知し、それに特権的地位を与えるものにほかならず、反面、他の宗教、特に靖国信仰を否定する信仰、信条を有する国民に対する目にみえない強い圧迫としての効果を持つものである。

(4) 戦没者追悼の対象となるべき者は、靖国神社に祀られている軍人等だけではない。控訴人らの戦没者追悼の思いは、明治以来わが国が天皇の名によって行ってきた度重なる戦争で犠牲となった、軍人に限らず、かつ敵味方を問わない、すべての人々を等しくその対象としなければならないというものであり、戦争犠牲者に対する追悼の根本姿勢は、「安らかに眠って下さい。過ちは二度と繰り返しませんから」というものでなければならず、本件公式参拝はこれと絶対に相容れない。

2  政教分離規定について

(1) 憲法の政教分離規定に違反するかどうかのいわゆる目的効果基準は、宗教的活動に対する国及びその機関の援助に関するものであり、国及びその機関自身が行う宗教的活動については、右基準の適用はなく、その活動がいかなるものであっても憲法第二〇条三項に抵触し、違憲になると解すべきである。

(2) 憲法の政教分離を制度的保障とする見解があるが、制度的保障とは、本来在来のものを憲法上の制度として保障するという趣旨であって、いわれるような人権規定との対比の意味があるわけではなく、右見解は妥当ではない。

憲法の政教分離規定は、国民に信教の自由を保障し、信教の自由に対する直接、間接の強制、圧迫から国民を保護するためのものであって、国及びその機関の違反行為により、国民の信教の自由が直接的強制によるのは勿論のこと、間接的な強制によっても侵害されることがないよう、定められているものと解すべきである。

仮に、憲法の政教分離規定が人権保障規定でないとしても、信教の自由に対する侵害は、直接的強制によるもののほか、間接的強制による侵害も含むと解すべきであり、国及びその機関の政教分離規定違反の行為が国民の信教の自由を直接、間接に侵害する以上、それは不法行為を構成するというべきである。

(3) 控訴人らは、憲法の政教分離規定に違反する本件公式参拝により、少なくとも間接的に各自の信教の自由を侵害された。

3  信教の自由の侵害による不法行為の成立は、侵害が直接的な場合に限らず、また、信教上不利益な取扱いを受けたとか、宗教上の強制を受けた場合とかに限定されない。

(1) 信教の自由は、憲法第二〇条第一項前段により、内容の全部が完全に保障されており、同項後段、第二項、第三項は、その保障を実効あらしめるための国家に対する禁止規範である。

(2) 信教の自由について、具体的な不利益取扱い、あるいは強制がある場合にのみ、その自由に対する侵害があるとするのは、財産権等他の一般の権利の場合との比較からも不合理である。財産権等他の一般的権利の法的保護は、強制による侵害を要件としていないのである。

(3) 信教の自由が何らかの形で侵害され、救済の必要性がある以上、財産権等他の一般の権利と同様に救済すべきであり、強制の要素がないからといって、救済を断念すべきではない。

(4) 現代社会では、特定の宗教を助長しあるいは迫害するのに、古典的な強制手段は不要であり、マスメディアを通じ、日常平穏に流布していくことや、本件公式参拝のような行為によって、印象づけることがより効果的である。現代における信教の自由は、まさにこのような脅威からの自由であり、その保障こそが肝要である。

(5) 信教の自由に対する侵害の有無は、単に外形的、物理的強制の有無によってではなく、侵害行為の及ぼす影響、自由な宗教行為に与える負担、当該行為の必要性、当事者の宗教に対する誠実さ等を、少数者の立場から、且つ、宗教的感覚に鋭敏な平均人の感覚を基準にして判断すべきである。

(6) 控訴人らは、靖国信仰が軍国主義的、国家主義的本質を有するものとして、常々批判的考えを持っていた者である。本件公式参拝は、控訴人らにとって、まさに国家と靖国信仰の結合として衝撃的であり、国家が国民に靖国信仰を押し付け、控訴人ら個人の信仰を否定するものと感じさせたものである。

4  宗教的人格権等は、国家賠償法上法的保護の対象となる権利である。

(1) 控訴人らが本件公式参拝について抱いた不快、怒り等の感情は法的保護に値する。

(2) 控訴人らが右感情を抱くについては、その前提として戦死した親族や、靖国神社に対する宗教感情が存在し、これらの宗教感情は当然法的保護の対象となるものである。

(3) 自衛官合祀事件の上告審判決(最判昭和六三年六月一日、民集四二巻五号二七七ページ)は、私人相互間の信教の自由の対立という場面に限って、宗教的人格権を認め得ないとしたものであり、これと本件のような、国家と国民との間の問題とが混同されてはならない。

(4) 宗教的人格権は、精神的自由権である以上、主観的、個別的な内容のものであることは確かであるが、具体的内容を持ち、客観的に把握しうるものである。

(5) 控訴人らのうち、遺族である者の宗教的人格権は、「肉親の死についてそれぞれの宗教的、非宗教的立場でこれを意味づけて、他からの干渉、介入を受けずに静謐な環境のもとでその思いをめぐらせる自由」を内容とし、宗教者である者、あるいは特定の宗教を有しない者の宗教的人格権は、「自ら信ずる教義に反する他の教義、信仰、宗教儀式等を押し付けられない自由」「特定の宗教の教義、信仰、宗教儀式等を押し付けられない自由」を意味する。

本件公式参拝は、靖国信仰を官許のものとして公認し、国民に見習うべきものとして、範を示したことになるものであって、控訴人らは、右公式参拝によりまさにその靖国信仰を押し付けられ、各々の宗教的人格権を侵害されたものである。

(6) 仮に、宗教的人格権等に明確な権利性が認められないとしても、それらは国家賠償法の保護対象である法益性を有するものであり、その被侵害利益と侵害行為の違法性との相関関係によって、賠償責任の存否が決せられる。

しかるに、本件公式参拝は、憲法第二〇条第三項の政教分離に違反する違憲・違法行為であり、一方、控訴人らがそのために被った宗教的感情についてのダメージは深刻、かつ極めて著しいものである。

5  本件公式参拝による控訴人らの具体的損害は次のとおりである。

(1) 仏教徒である控訴人ら

同控訴人らは、浄土真宗を信仰する者であるが、浄土真宗では、法然、親鸞の「神祇不拝」の教えに基づき、神霊に祈ることを禁じている。同控訴人らは、靖国信仰を、天皇や国のための戦死者を英霊として祭るものであって、神霊に祈ることを禁じ、権力からの精神的自由を得ようとした浄土真宗の信仰と相対立するものとしてきた。

しかるに、本件公式参拝は、靖国信仰を国として正統のものと意義づけるものであり、同控訴人らにとって、「自らの信仰が靖国神社信仰の下位に位置づけられた。」、「自らの信仰の本質的部分を否定された。」と受けとめざるをえず、本件公式参拝を許すことのできない行為、という程の重大な精神的打撃を受けたものである。

(2) キリスト教徒である控訴人ら

キリスト教徒は、イエス・キリストのみを拝し、ほかの神を拝することを拒否する。なかんずく、人が死して神になるという考えを受容することは、死をもってあがなうべき破戒である。キリスト教徒にとって、靖国神社の英霊を崇拝することは、教義の本質に反し、絶対に受け入れられないものである。

靖国神社は、現在もその教義自体において、国家神道としての本質を堅持しており、今回、本件公式参拝がその教義に国家的承認を与えたことは、靖国信仰と相容れない宗教的確信のもとにいる同控訴人らをして、これを契機に以後、国家権力との対峙を覚悟してしか自らの宗教生活を行いえない、という畏怖心を抱かしめ、同控訴人らに対し重大な威嚇的効果を与えた。

本件公式参拝は、同控訴人らの信仰を国家の権威によって否定するに等しく、同控訴人らの精神的衝撃、苦痛がいかに深刻であったか、多言を要しない。

(3) 遺族である控訴人ら

太平洋戦争で戦死した肉親の死を思う遺族の気持は、複雑であり、単純に、肉親を祖国や同胞を守るために一命を捧げた英霊と思い込むことはできない。靖国神社が遺族の承諾なく、一方的に戦死者を英霊として合祀していることにつき、大きな抵抗を感じている遺族も多く、控訴人大分哲照、同千手藤次らのように合祀自体に苦痛を感じ、再三合祀の取下げを要求してきた者もいる。

しかるに、本件公式参拝は、遺族に対して、戦死者の肉親の魂が靖国神社にあり、これを英霊と思うことを強制するものであり、また、靖国神社を特別な宗教として公認し、靖国信仰の推奨を言明するに等しいものであって、同控訴人らは、肉親の戦死を思う内心に直接干渉・介入を受け、大きな衝撃を受けた。

なお、本件公式参拝は、広くアジア諸国からも一斉に非難の声明が出され、これらにより遺族である同控訴人らの心の平穏は、再度動揺させられた。

また、浄土真宗の仏教徒である遺族の控訴人らにとっては、肉親の戦死者が靖国神社に合祀されること自体、耐え難い苦痛であるところに、本件公式参拝がなされ、さらなる衝撃を受けたものであり、それは信教の自由に対する侵害そのものである。

(4) 特定の信仰を持たない控訴人

控訴人江藤俊一は、特定の信仰を持たないが、学生時代からベトナム反戦運動に携わり、卒業後も様々の反戦市民運動を経験しながら、反靖国の戦いに参加するようになり、昭和三〇年代から何回か提出された靖国神社国家護持法案に反対した。靖国神社と国家が結びつくことは、戦前の歴史的経過からみて国家神道の復活であり、再び戦争への道につながるものだからである。

本件公式参拝は、国家が他の宗教と区別したうえ、靖国神社に特別の権威づけをし、特典を与え、公的認知をしたものであり、国民に靖国神社での戦没者追悼を推奨したものであって、国民は、靖国神社を他の宗教よりも崇めるよう精神的強制を受けたことになる。

これは、同控訴人のように特定の信仰を持たない国民や、神道以外の宗教を信じる国民に対する信教上の不利益な取扱いであり、宗教上の強制に当たるものである。

(被控訴人の主張)

1  本件公式参拝は、憲法の政教分離規定に違反するものではないが、この点をひとまず措くとしても、そもそも政教分離規定に違反するということ自体は、国家賠償法上の違法性を基礎づけるものではない。

すなわち、国家賠償法一条にいう違法性は、究極的には他人に損害を加えることが法の許容するところかどうか、という見地からする行為規範性を内容としており、それは公務員としての行為規範違反、あるいは職務上の義務違反としてとらえることができるものであるところ、その場合の職務上の義務は、単に内部的な公務員法上の義務では足りず、公務員が第三者に対して負う法的義務でなければならない(最判昭和六〇年一一月二一日、民集三九巻七号一五一二ページ、在宅投票制度訴訟上告審判決参照)。

しかるに、国の機関である内閣総理大臣が憲法上負っている政教分離規定の遵守義務は、その性質上主権者たる国民全体に対して負担しているものであって、個別の国民に対し負担するものではないから、憲法の政教分離規定に違反するということをもって国家賠償法上の違法性を基礎づけることはできないのである。

2  本件公式参拝による控訴人らの信教の自由の侵害はない。

国家賠償法一条は、直接個別の国民の何らかの法的利益を保護することを目的とする規定であるから、公務員による憲法の政教分離規定違反の行為が国家賠償法上も違反となるためには、政教分離規定違反の行為が同時に国民個々人の法的利益の侵害に結び付く場合でなければならない。

しかるところ、右法的利益として控訴人らが種々主張するもののうち、中核をなす信教の自由について、その侵害があったというためには、少なくとも信教を理由とする国家による不利益な取扱い、あるいは宗教上の強制という、いわゆる強制の要素(右「不利益な取扱い」を含む。)が存在することが不可欠であり(最判昭和六三年六月一日、民集四二巻五号二七七ページ、自衛官合祀訴訟上告審判決、名古屋高判昭和四六年五月一四日、判時六三〇号七ページ、津地鎮祭訴訟控訴審判決、大阪地判平成元年一一月九日、判時一三三六号四五ページ、靖国神社公式参拝訴訟一審判決、神戸地姫路支判平成二年三月二九日、訟務月報三六巻七号一一四一ページ、前同参照)、本件公式参拝によって控訴人らが不利益な取扱いや宗教上の強制を受けた事実は何ら存しないのであるから、本件公式参拝による信教の自由の侵害を肯認する余地は全くない。

3  控訴人ら主張の宗教的人格権、宗教的プライバシー権、及び平和的生存権は国家賠償法一条の被侵害利益として肯認されない。

宗教的人格権及び宗教的プライバシー権なるものを右被侵害利益、すなわち法的利益として認めることができないことは、前記自衛官合祀訴訟上告審判決が明確に判示しているところであり、また、平和的生存権なるものが実定法上の根拠を欠き、およそ右の法的利益たり得ないことについても、本件と同種訴訟の前記大阪地方裁判所及び神戸地方裁判所姫路支部の判決が明言しているとおりである。

理由

一請求原因1の事実のうち、藤波内閣官房長官が昭和六〇年八月一四日、内閣総理大臣が靖国神社に内閣総理大臣としての資格で参拝を行う旨発表したこと、中曽根内閣総理大臣が同月一五日藤波内閣官房長官及び増岡厚生大臣とともに靖国神社に赴き、拝殿において「内閣総理大臣中曽根康弘」と記帳し、本殿において黙祷のうえ深く一礼をしたこと、その際、「内閣総理大臣中曽根康弘」と表示した生花一対を本殿に配置し、右供花の代金として国費から金三万円を支出したこと、右参拝の後、中曽根康弘内閣総理大臣が「内閣総理大臣の資格で参拝した。いわゆる公式参拝である。」との発言をしたこと、

同2(二)の事実のうち、中曽根内閣総理大臣が昭和四三年五月拓殖大学総長就任中において、昭和四七年三月靖国神社法成立促進国民大会において、昭和六〇年七月二七日自由民主党軽井沢セミナーにおいてそれぞれ講演したこと、同2(三)の事実のうち、本件公式参拝に公用車が使用されたこと、

同2(四)の事実のうち、昭和六〇年八月九日「閣僚の靖国神社参拝に関する懇談会」から藤波内閣官房長官に対し報告書が提出されたこと、同報告書において「国民や遺族の多くが靖国神社を戦没者追悼の中心的施設としている」との見解が表明されていること、

以上の事実は当事者間に争いがない。

二控訴人らは、本件公式参拝が宗教行為であって、憲法第二〇条三項、第八九条等の政教分離規定に違反する違憲・違法行為であること、本件公式参拝が控訴人らの信教の自由、宗教的人格権、宗教的プライバシー権、平和的生存権あるいはそれらと同種の法的利益を侵害する行為であること、控訴人らが本件公式参拝によりそれぞれ精神的苦痛を受け、被害を被ったこと等を主張し、被控訴人はそれらを争うので、まず、本件公式参拝に至るまでの経緯、及び本件公式参拝に関する控訴人らの精神的かかわりあいの有無、程度等について判断する。

1  <書証番号略>、当審証人横田耕一の証言に弁論の全趣旨を総合すると、

(1)  靖国神社は、戊辰戦争の官軍戦死者慰霊のため明治二年に創建された東京招魂社が、西南戦争の政府軍戦死者の合祀を機に、明治一二年神社に改革され、別格官弊社に列せられ、靖国神社と改称されたものである。

靖国神社は、その頃から政府の管理下に置かれ、創建当時、戊辰戦争における官軍戦死者の霊魂を祭祀したが、その後、嘉永六年癸丑以降の明治維新における官軍戦死者を合祀し、さらにその後の事変、戦争等を通じ第二次世界大戦の終戦までの国事殉難者、また、その後の国事殉難者を合祀しており、戦前はわが国の国家神道の中心的存在であった。

なお、靖国神社に合祀された祭神の氏名は、霊璽簿に戦没年月日、場所、出身地、生前の階級、勲等などを付して記入されており、昭和五九年一〇月現在の合祀柱数累計は二四六万四千余(維新前後殉難者七千余、西南の役等同六千余、日清の役同一万三千余、台湾の役同千余、北支事変同千余、日露の役同八万八千余、大正三年、九年の役同四千余、満州事変同一万七千余、支那事変同一九万千余、太平洋戦争同二一三万千余、その他)である。

(2)  太平洋戦争の終戦後、昭和二〇年一二月に出された連合国総司令部のいわゆる神道指令により、国家神道、神社神道が国家から分離され、軍国主義、過激な国家主義が払拭されたのちに、信奉者が望む限り一つの宗教として存続が認められることになったが、その際、靖国神社についても、宗教施設として存続する途が選ばれ、靖国神社は、以後国家との結びつきを遮断され、宗教的な一施設として現在に至っているところ、当時、神道指令に基づく国家と宗教との分離は、靖国神社のような神社に関しては、財政その他すべての面で厳格に実施され、その後、昭和二二年五月三日施行の憲法において、第二〇条、第八九条で信教の自由とともに政教分離の規定が定められた。

(3)  靖国神社は、昭和二一年九月に旧宗教法人令による単立宗教法人登記、昭和二七年八月に宗教法人法による単立宗教法人設立公告をし、現在純然たる宗教法人であるが、その目的として、昭和二七年九月制定の現行宗教法人靖国神社規則第三条は「本法人は、明治天皇の宣らせ給うた『安国』の聖旨に基づき、国事に殉ぜられた人々を奉斎し、神道の祭祀を行い、その神徳をひろめ、本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者を教化育成し、社会の福祉に寄与しその他本神社の目的を達成するための業務及び事業を行うことを目的とする。」と定めている。

(4)  わが国は、昭和二七年四月対日講和条約の発効により主権を回復し、同年五月には政府主催の戦後第一回の全国戦没者追悼式を挙行したが、昭和二七年、八年頃から日本遺族会(昭和二八年三月設立、前身は日本遺族厚生連盟)を中心に、当初、靖国神社祭祀費用国家負担、その後靖国神社国家護持の運動が起こり、昭和四三年六月から昭和四八年までに五回、いわゆる靖国神社法案が国家護持推進派の国会議員から、議員立法として国会に提出されるに至り(昭和四九年頃までにいずれも廃案になった。)、一方、その間昭和三五年五月、日本キリスト教連合会が靖国神社国家管理につき国会議員に注意を要望したのを初め、昭和四二年頃以降日本キリスト教団、新日本宗教団体連合会、西本願寺派宗務会、全日本仏教会、浄土真宗本願寺派、日本バプテスト連盟、日本宗教連盟、日本キリスト教協議会、歴史科学者協議会、日教組、旧総評、護憲連合等いろいろな団体の反対運動も活発に行われた。

(5)  歴代の内閣総理大臣その他の国務大臣は、戦後の一時期を除き、靖国神社の春秋例大祭等に戦没者の慰霊、追悼の趣旨で同神社に参拝していたが、戦後靖国神社が一宗教法人に過ぎなくなったこと等から、政府機関の同神社への参拝については、政教分離を定めた憲法の規定との関係で違憲の疑いがあったため、昭和五〇年八月当時の三木内閣総理大臣の参拝時以降、私人としての立場で参拝する旨が公にされるようになり、政府も昭和五三年一〇月第八五回国会参議院内閣委員会で当時の安倍内閣官房長官が政府の統一見解として、「内閣総理大臣その他の国務大臣の地位にある者であっても、私人として憲法上の信教の自由が保障されていることはいうまでもないから、これらの者が私人の立場で神社、仏閣等に参拝することは、これまでもしばしば行われているところである。閣僚の地位にある者は、その地位の重さから、およそ公人と私人との立場の使い分けは困難であるとの主張があるが、神社、仏閣等への参拝は、宗教心のあらわれとして、すぐれて私的な性格を有するものであり、特に、政府の行事として参拝を実施することが決定されるとか、玉串料等の経費を公費で支出するなどの事情がない限り、それは私人の立場での行動とみるべきものと考えられる。先般の内閣総理大臣の靖国神社参拝に関しては、公用車を利用したこと等をもって私人の立場を超えたものとする主張もあるが、閣僚の場合、警備上の都合、緊急時の連絡の必要等から、私人としての行動の際にも、必要に応じて公用車を使用しており、公用車を利用したからといって、私人の立場をはなれたものとはいえない。……中略……なお、先般の参拝に当たっては、私人の立場で参拝することをあらかじめ国民の前に明らかにし、公の立場での参拝であるとの誤解を受けることのないよう配慮したところであり、また、当然のことながら玉串料は私費で支払われている。」と説明し、昭和五五年一一月の参議院議院運営委員会理事会での当時の宮沢内閣官房長官説明の政府統一見解でも、「政府としては、従来から、内閣総理大臣その他の国務大臣が国務大臣としての資格で靖国神社に参拝することは、憲法第二〇条第三項との関係で問題があるとの立場で一貫してきている。右の問題があるということの意味は、このような参拝が合憲か違憲かということについては、いろいろな考え方があり、政府としては違憲とも合憲とも断定していないが、このような参拝が違憲ではないかとの疑いをなお否定できない、ということである。そこで、政府としては、従来から事柄の性質上慎重な立場をとり、国務大臣としての資格で靖国神社に参拝することは差し控えることを一貫した方針としてきたところである。」として、踏襲されていた。

(6)  しかし、その後、日本遺族会を中心として、遺族や国民の多くから、靖国神社は宗教施設ではあるが、同時にわが国における戦没者追悼の中心的施設であり、内閣総理大臣其の他の国務大臣が戦没者追悼のため同神社に参拝することは憲法の規定に違反しないとして、同神社の春秋例大祭、八月一五日(戦没者を追悼し平和を祈念する日)等における内閣総理大臣、その他閣僚の同神社への公式参拝を求める要望が強まり、各地の地方議会でも右公式参拝を実施すべきである旨の決議をするものが三七県議会、一六〇〇市町村議会にも及び、他方、前記宗教団体等を中心とする反対運動も活発であり、右公式参拝問題はいわば国論を二分する状態であった。

そこで、政府は、内閣総理大臣及びその他の国務大臣の靖国神社への公式参拝の問題をさらに検討することとし、昭和五九年八月当時の藤波内閣官房長官の諮問機関として、憲法学者、宗教家等を含む各界の有識者一五名に参加を求めて、同メンバーによる「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」(以下「靖国懇」という。)を開催し、右公式参拝問題についての意見を求めた。

(7)  靖国懇は、その後約一年間に合計二一回の懇談会を開催し、宗教団体等の意見や諸外国の実情を含めた全般的な調査と討議、検討を行った後、藤波内閣官房長官に対し昭和六〇年八月九日付「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会報告書」を提出したところ、その内容は、「わが国でも、先の大戦に至るまでの数次の戦争における戦没者に対し追悼の念を表すことは、国民多数の感情に合致し、遺族の心情にも沿うものであって、国民として当然の所為というべきである。内閣総理大臣その他の国務大臣も、国民を代表する立場において、国民の多数が支持し、受け入れる形で行事を主催し、又行事に参列することによって戦没者の追悼を行うのが適当であろう。戦後、政府は全国戦没者追悼式を実施してきているが、国民や遺族の多くは、戦後四〇年に当たる今日まで、靖国神社をその沿革や規模からみて、依然としてわが国における戦没者追悼の中心的施設であるとしており、同神社において、多数の戦没者に対して、国民を代表する立場にある者による追悼の途が講ぜられること、すなわち、内閣総理大臣その他の国務大臣が同神社に公式参拝することを望んでいるものと認められる。」とし、公式参拝の憲法適合性に関する考え方として、憲法第二〇条第三項で禁止される「宗教活動」に該当とするか否かにつき、討議の過程で多様な意見が主張されたとして、靖国神社への公式参拝が憲法の禁止する宗教活動にあたらないとする意見、宗教団体である靖国神社に公式参拝することは、たとえ目的が世俗的であっても、国家と宗教とのかかわりあいの相当とされる限度を超え、違憲であるとする意見等、「その一」から「その六」までを併記したうえ、憲法との関係については、「いわゆる当該行為の目的及び効果の面で種々配慮することにより、政教分離原則に抵触しない何らかの方式による公式参拝の途があり得る。」「政府は、この際、大方の国民感情や遺族の心情をくみ、政教分離原則に関する憲法の規定に反することなく、また、国民の多数により支持され、受け入れられる何らかの形で内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社への公式参拝を実施する方途を検討すべきである。」と述べ、閣僚の公式参拝に関して考慮すべき事項として、(1)公式参拝の方式の問題、(2)靖国神社の合祀対象の問題、(3)国家神道、軍国主義復活の問題、(4)信教の自由の問題、(5)政治的対立、国際的反応の問題につき、それぞれ政府の配慮すべき点を指摘し、その(1)公式参拝の方式の問題として、社会通念に照らし、追悼の行為としてふさわしいものであって、かつ、その行為の態様が、宗教との過度の癒着をもたらすなどによって政教分離原則に抵触することがないと認められる適当な方式を考慮すべきであること、その際、相当とされる限度を超えて、宗教的意義を有するとか、靖国神社、あるいは、同神社の活動を援助、助長、促進し、又は、他の宗教、宗派に圧迫、干渉等を加えるなどのおそれのないよう、十分慎重な態度で対処する必要があること、その(4)信教の自由の問題として、靖国神社への参拝は、宗教とのかかわり合いを持つ行為であるから、政府は、内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社参拝にあたっては、憲法第二〇条第二項(信教の自由)との関係に留意し、制度化によって参拝を義務付ける等、信教の自由を侵すことのないよう配慮すべきであること、という趣旨のものであった。

(8)  藤波内閣官房長官は、昭和六〇年八月一四日、翌一五日の内閣総理大臣の本件公式参拝の予定を発表する際、「……前略……靖国神社公式参拝については、憲法のいわゆる政教分離原則の規定との関係が問題とされようが、その点については、政府としても強く留意しているところであり、この公式参拝が宗教的意義を有しないことをその方式等で客観的に明らかにしつつ、靖国神社を援助、助長する等の結果とならないよう十分配慮するつもりである。……中略……このたび、『閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会』の報告書を参考として、慎重に検討した結果、今回のような方式によるならば、公式参拝を行っても、社会通念上、憲法が禁止する宗教的活動に該当しないと判断した。したがって、今回の公式参拝の実施は、その限りにおいて、従来の政府統一見解を変更するものである。以下略」旨説明した(政府統一見解の変更は同年八月二〇日の衆議院内閣委員会の藤波内閣官房長官の説明でも示された。)。

なお、靖国神社では、宮司が予め遺族会の関係者らから、本件公式参拝では、手水の儀、修祓の儀、玉串奉、二拝二拍手一拝等の神道の参拝方式によらず、本殿又は社頭で黙祷のうえ一礼するという形式になる旨説明され、当初厳格な応答をしたが、説得されて修祓(お祓い)の点を除き概ね承認したうえ、修祓も神社側でいわゆる陰祓いをすることにし、後日、政府関係者(藤波内閣官房長官)を神社に招いて、その旨回答し、今回はやむなく、目立たないように陰祓いをするが、参拝者側では祓いを受けなかったということでもよいとの意向を伝え、本件公式参拝の際も、中曽根内閣総理大臣が記帳をしている時、コの字型に張った幕で外から見えないようにしてお祓いをした。

(9)  本件公式参拝については、それが行われた昭和六〇年八月一五日の前後を通じ、日本キリスト教協議会、新日本宗教団体連合会、真宗教団連合、日本キリスト教団、全日本仏教会、日本カトリック司教協議会、日本バプテスト連盟等の宗教団体、日本婦人有権者同盟、国民文化会議、靖国神社公式参拝問題についての憲法研究者団体、靖国違憲訴訟全国連絡会議、自由人権協会等の市民団体、その他から公式参拝中止の要望や本件公式参拝に対する抗議の声明等が数多く寄せられた。

以上の事実が認められる。

2  当審における控訴人郡島恒昭、同有川宏、同石崎昭哲、同江藤俊一各本人尋問の結果、及びこれらと<書証番号略>に弁論の全趣旨を総合すると、

別紙控訴人目録表示の番号一控訴人郡島から番号三三控訴人森口までは、仏教徒の僧侶、門徒、又は信徒、番号三四控訴人有川から番号三八控訴人鈴木まではキリスト教徒の神父、牧師、又は信徒、番号三九控訴人江藤から番号四三控訴人田籠までは特定の宗教乃至信仰を持たない者、また、同目録表示の番号二五控訴人石松から番号三三控訴人森口までと、番号四二、四三の控訴人石崎、同田籠は靖国神社に合祀されている戦没者の遺族でもあり、いずれも、それぞれの信仰、思想、信条に基づき靖国信仰、英霊思想を否定し、拒否してきたものであって、本件公式参拝につき不快、怒り、あるいは国家神道の復活に対する危惧の念等の感情を抱いたことが認められるところ、そのうち、

(1)  同目録表示の番号一の控訴人郡島は、昭和四年二月生れ、もと新聞記者、労働組合役員、新聞社編集部長等の後、昭和五四年九月以降浄土真宗本願寺派光照寺の住職をし、仏教徒非戦の会、本願寺派反靖国連帯会議等に所属し、かねて反靖国の運動に携わっていた者であり、本件公式参拝につき、それを中止させることができなかった無念さ、口惜しさは筆舌に尽くし難い、旨述べている。

(2)  同番号二の控訴人有光は、昭和二四年一月生れ、昭和五九年七月以降浄土真宗本願寺派真行寺の住職をし、その頃から靖国問題学習会、本願寺派反靖国連帯会議に所属して、反靖国の運動に携わってきた。

(3)  同番号五の控訴人入江は、昭和三〇年七月生れ、昭和五六年浄土真宗本願寺派光雲寺の住職に就任している。

(4)  同番号七の控訴人大庭は、大正一三年六月生れ、仏教徒である。

(5)  同番号一一の控訴人須藤は、昭和七年七月生れ、昭和四四年以降浄土真宗照安寺の住職であり、昭和四九年頃靖国神社法案に対し真宗同朋集団の名による反対運動を組織する等、かねて反靖国の運動を行ってきた。

(6)  同番号一二の控訴人杣山は、昭和五六年七月以降浄土真宗本願寺派明正寺の住職である。

(7)  同番号一五の控訴人谷川は、大正三年八月生れ、浄土真宗の僧侶である。

(8)  同番号一九の控訴人藤岡は、昭和一三年二月生れ、昭和三六年浄土真宗本願寺派真行寺の住職、昭和四六年四月学校法人蓮水学園理事長になり、真宗の布教を通じ、反靖国の啓蒙活動を行っていたものであり、本件公式参拝につき、一国の総理という立場のその参拝等の言動に対し大きな悲しみと憤りを覚えた、旨述べている。

(9)  同番号二〇の控訴人藤崎は、昭和三〇年三月生れ、浄土真宗の僧侶であり、昭和五九年頃から浄土真宗本願寺派反靖国連帯会議、靖国問題学習会に所属し、反靖国の運動と学習を行ってきた。

(10)  同番号二二の控訴人山本は、昭和二三年一二月生れ、本派僧侶である。

(11)  同番号二三の控訴人久保山は、昭和一六年一月生れ、昭和四六年四月以降浄土真宗大谷派明願寺の住職であり、本件公式参拝につき、これらの行為が私そして私達の存在の意義、生命の尊厳を著しく冒し、深く傷つけたことは筆舌に尽くし難い屈辱であり、為に受けた精神的苦痛ははかり知れないものがある、旨述べている。

(12)  同番号二四の控訴人鳥取は、昭和八年一月生れ、昭和四七年四月以降浄土真宗大谷派正念寺の住職であり、本件公式参拝につき、靖国神社に首相、閣僚が参拝することの非人間性を痛感し、その精神的苦痛は言い表し難く、このような宗教的人格権の無視、基本的人権の侵害、政教分離原則の違背がなぜ認められるのか、痛ましいかぎりである、旨述べている。

(13)  同二五の控訴人石松は、昭和二年四月生れ、小学校教諭を退職後、昭和五四年四月以降浄土真宗本願寺栄法寺の住職であって、二人の兄が太平洋戦争で戦死した遺族でもあり、本件公式参拝につき、迷いを転じて悟りの仏となった兄達と共に、念仏一つを究極のよりどころとして生きている同控訴人の宗教的心情を全面的に蹂躙するものである、旨述べている。

(14)  同番号二六の井上は、昭和九年一二月生れ、昭和四九年四月以降浄土真宗本願寺派教伝寺の住職であり、叔父が太平洋戦争で戦死した遺族でもある。

(15)  同番号二七の控訴人大分は、昭和二三年九月生れ、昭和五〇年四月以降浄土真宗本願寺派明円寺の衆徒であって、大伯父が日清戦争の戦死者である遺族でもあり、昭和五七年に仏教徒非戦の会、昭和五九年七月に浄土真宗本願寺派反靖国連帯会議、昭和六一年一月に真宗遺族会にそれぞれ所属し、かねて反靖国の運動に携わっており、本件公式参拝につき、人類永遠の福祉に貢献しようとしている真宗教徒の行いを土足で踏みにじったものであり、この精神的苦痛はたとえようがない、旨述べている。なお、同控訴人の大伯父は靖国神社に合祀されており、同控訴人の父が同神社に合祀の取下げを求めたが、受け入れられていない。

(16)  同番号二九の控訴人千手は、昭和一一年二月生れ、建設業自営の浄土真宗信徒であり、太平洋戦争で兄二人と義兄が戦死した遺族でもあって、靖国神社に合祀されている兄二人の合祀取下げを同神社に繰り返し要請しているが、応じて貰えないでおり、本件公式参拝につき、自分の受傷入院の経験を遥かに超える苦痛を味わっている、旨述べている。

(17)  同番号三一の控訴人中島は、昭和二二年一一月生れ、昭和六三年四月以降自坊藤円寺の住職であり、叔父が日中戦争の戦死者である遺族でもあって、浄土真宗本願寺派反靖国連帯会議に所属し、かねて反靖国の運動に携わってきたものであり、本件公式参拝につき、戦争犠牲者を真に平和的、人格的に追悼していく行為ではない、旨述べている。

(18)  同番号三三の控訴人森口は、光隆寺の前住職である。

(19)  同番号三四の控訴人有川は、昭和一二年八月生れ、キリスト教徒であって、昭和三七年四月以降日本キリスト教団西福岡教会副牧師、牧師をし、かねて平和運動、反戦運動、人権問題に取り組み、反靖国の運動に携わっているものであり、本件公式参拝につき、私の信仰、生き方に土足で踏み込むひどいもので、私の信仰と人格の総体を根底から否定するものに等しく、それが私にもたらした圧迫は、言葉では的確に表現し難いものであり、むしろ具体的な形に現れないものであるだけに、深く大きな重圧となって、私の信仰生活全体を覆っている、旨述べている。

(20)  同番号三九の控訴人江藤は、昭和二五年一月生れ、学生時代からべ平連等さまざまな市民運動に参加し、その後反靖国の運動にも加わり、現在、予備校の教員をしているものであり、本件公式参拝につき、信じてもいない英霊信仰を押し付けられたショックは、政治と宗教とのありかたを考えてきたものにとって、今後も精神的な圧迫になり続ける、旨述べている。

(21)  同番号四〇の控訴人芳井は、昭和七年三月生れ、労働組合役員、社会党県本部オルグ、執行委員、社会主義青年同盟地区本部書記長、県労働組合評議会オルグ等をしていたものであり、本件公式参拝につき、歴代自民党政府が行ってきた様々な違憲行動の中でも、最も許すことのできないものであると考えた、旨述べている。

(22)  同番号四二の控訴人石崎は、昭和三年一〇月生れ、印刷業を営む者であって、父親が太平洋戦争で戦死した遺族であり、本件公式参拝につき、私の私的な事柄として考えてきた父の戦死に一方的に踏み入り、英霊という意味の共有を強制するものであって、我慢ができなかった、旨述べている。

(23)  同番号四三の控訴人田籠は、昭和三年一一月生れ、農業を営む者であって、父親が太平洋戦争で戦死した遺族であり、本件公式参拝につき、亡くした肉親を静かにしのぼうとする妻子や家族の意をさかなでする行為であり、断じて許すことはできない、旨述べている。

以上の事実が認められる。

三そこで、以下、前記当事者間に争いのない事実、及び右認定した事実に基づいて判断する。

1 控訴人らは、本件公式参拝が宗教行為であって、憲法第二〇条第三項、第八九条等の政教分離規定に違反する違憲・違法行為である旨主張するが、これら憲法の政教分離を定めた規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、私人に対して信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国及びその機関が行うことのできない行為の範囲を定めて国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由を確保しようとするものである。

したがって、この規定に違反する国又はその機関の宗教活動も、それが憲法二〇条一項前段に違反して私人の信教の自由を制限し、あるいは同条二項に違反して私人に対し宗教上の行為等への参加を強制するなど、憲法が保障している信教の自由を直接侵害するに至らない限り、私人に対する関係で当然には違法と評価されるものではない(最判昭和五二年七月一三日、民集三一巻四号五三三ページ、最判昭和六三年六月一日、民集四二巻五号二七七ページ参照)。

2  控訴人らは、いわゆる制度的保障が本来在来の制度を憲法上保障する趣旨のものであって、憲法の定める政教分離規定は、そのようなものではなく、国民の信教の自由に対する直接、間接の侵害が行われないように定めた人権規定である旨主張する。

しかし、制度的保障の意味が本来控訴人ら主張のようなものであるとしても、政教分離規定が「制度的保障」に含まれるか否かは、むしろ制度的保障の定義の仕方いかんによるものに過ぎず、いずれにしても、憲法の定める政教分離の規定の趣旨は前記の内容のように解されるのであって、憲法の政教分離規定が、国家に宗教との関わりを禁じ、憲法第二〇条第一項前段の定める信教の自由を間接的に保障しようとする趣旨を超えて、それ自体独自の人権を定めた人権規定であると解することは、その人権の内容、法文の根拠等いずれの点からも困難といわなければならず、右控訴人らの主張は採用することができない。

また、憲法第二〇条第三項、第八九条等の政教分離規定は、前記のとおりいわゆる制度的保障の規定であって、私人の法的利益を直接保障するものではないから、右政教分離規定により私人が受ける利益は、国家賠償法によって保護される私人の法的利益ということもできない。さらに、人権とは、特定範囲の人々にのみ帰属するのではない基本権であるから、宗教的感覚に鋭敏な人々についてのみ政教分離原則から受ける利益を特に人権と見ることは不可能であり、また、そのような人々についてのみ右の利益を法的な利益と解すべき法的根拠も見出せない。

3  控訴人らは、憲法の政教分離規定が人権規定でないとしても、信教の自由に対する侵害は、直接的強制によるもののほか、間接的強制による侵害も含み、国及びその機関の政教分離規定違反の行為が私人の信教の自由を直接、間接に侵害する以上、国家賠償法上の不法行為になる旨主張する。

そこで検討するに、前記認定のとおり、本件公式参拝は、昭和六〇年八月一五日中曽根内閣総理大臣によって行われたものであるが、政府は、それまで閣僚の靖国神社への公式参拝は憲法の政教分離規定との関係で問題がある、との統一見解を表明していたのを、靖国懇の「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会報告書」等に基づき、同年八月一四日本件公式参拝予定を発表の際の藤波内閣官房長官の説明として、従来の政府統一見解を変更して、公式参拝を実施するとともに、政教分離規定との関係については、政府としても強く留意しているところであり、この公式参拝が宗教的意義を有しないことをその方式等で客観的に明らかにしつつ、靖国神社を援助、助長する等の結果にならないよう十分配慮するつもりである、旨述べていることが認められる。

しかしながら、宗教団体であることの明らかな靖国神社に対し、「援助、助長、促進」の効果をもたらすことなく、内閣総理大臣の公式参拝が制度的に継続して行われうるかは疑問であり、参拝の方式が神道の定めるところによらないということで、従来の政府統一見解で問題とされていた点が解消したとは必ずしも考え難いが、本件公式参拝は参拝の方式をそれなりに配慮し、政府自身それが宗教的行為でないと説明して実施したものでもあり、かつ、内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝はその時の一回だけに留まり、その後は行われていない等の諸事情に徴すると、本件公式参拝は、国が靖国信仰を公認し、国民に習うべきものとして範を示したものともいえず、また、控訴人らに対し靖国信仰を押しつけたともいいがたいので、控訴人らの「信教の自由」に対し間接的(心理的)強制を加えて、その自由を侵害、制限したものとは認めることができない。

なお、控訴人らの主張する間接強制、間接侵害が、控訴人らの「信教の自由」に対する強制にまで至らない段階での、控訴人らの「信教の自由」についての不安や危惧の念を惹起する国家の宗教的活動をも含むものであるとすれば、それはとりもなおさず政教分離規定によって受ける利益をもって控訴人らの人権あるいは控訴人らの法的利益とみる理由のない見解に立脚しているものというほかなく、採用の余地はない。

4  控訴人らは、本件公式参拝が控訴人らの宗教的人格権、宗教的プライバシー権、平和的生存権あるいはそれらの法的利益を侵害する不法行為である旨主張するところ、本件公式参拝について、控訴人らが、それぞれ仏教徒、キリスト教徒、戦没者の遺族、あるいは特定の信仰をもたない者として各自の思想、信条等に基づき不快、怒り、国家神道の復活に対する危惧の念等を抱き、精神的に少なからぬ影響を受けたことは前記認定のとおりである。

しかし、控訴人ら主張の宗教的人格権、宗教的プライバシー権は、政教分離規定の違反を問題としている本件においては、控訴人らの権利とも法的利益ともいえない政教分離規定によって受ける控訴人らの利益を、「静謐な宗教環境」とか「宗教上の心の平穏」とかの表現に改め、宗教的人格権ないし宗教的プライバシー権と名付けたものと解せざるをえないので、そのような内容の権利ないし法的利益を控訴人らが有しているということは、所詮、無理な話であり、また控訴人らが、平和的生存権として主張する平和とは、理念ないし目的としての抽象的概念であって、そこからは控訴人らの具体的な権利はもちろん具体的な法的利益も引き出すことはできないから、右の諸権利ないし法的利益を侵害された旨の控訴人らの主張もまた失当である。

なお、控訴人らの不快、怒り、危惧の念等は、控訴人らの権利ないし法的利益に対する侵害があった場合に、精神的損害として評価されうるものとしても、それらの感情の惹起のみをもって控訴人らの権利ないし法的利益が侵害されたということはできない。

四よって、控訴人らの本訴請求は、本件公式参拝によって控訴人らの権利ないし法的利益が侵害されたとは認められないので、その余の点について判断するまでもなく、失当として排斥を免れず、これと同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき、民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官緒賀恒雄 裁判官田中貞和 裁判官木下順太郎)

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